恋と革命のインドカリー
創業者夫妻とラス・ビハリ・ボースの出会い
ラス・ビハリ・ボースは、1886(明治19)年、インドベンガル地方に生まれました。当時、イギリスの植民地として圧政に苦しんでいた祖国インドを救おうと独立運動に身を投じます。しかし、インド総督への襲撃をきっかけに、イギリス政府から厳しい追及を受け、1915(大正4)年、日本に亡命します。日本では孫文と知り合い、その紹介で頭山満の知遇を得て潜伏生活を送ります。しかし、それがイギリス政府に伝わり、日英同盟を結んでいた日本政府は国外退去命令を出します。退去日の前日に頭山から依頼を受けた創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻は、ボースを中村屋の敷地内にあったアトリエで匿います。一商店が政府の意に反して亡命者を匿うことは大変なことでしたが、中村屋の従業員全員が団結し、保護にあたりました。
ボースを献身的に支えた俊子
亡命の翌年、日本政府はボース保護に転換しますが、イギリスからの追及は続きます。中村屋を出たボースは隠れ家を転々としますが、この時、逃亡生活を陰で支えたのが相馬夫妻の長女俊子でした。相馬夫妻とボースの連絡役を務め、頭山満の提案で後に二人は結婚。二人の子どもを授かりますが、逃亡生活の心労がたたり、俊子は1925(大正14)年、26歳で早逝します。自分を支えてくれた人を幸せにできなかった・・・。ボースの無念は計り知れないものだったにちがいありません。
純印度式カリー誕生
当時、日本に広まっていたカレーはイギリスから伝わった小麦粉を使用した、祖国インドのカリーとは別のものでした。俊子の死後も中村屋と交流を深めたボースは本場のカリーを日本に紹介したいとの思いから、中村屋で喫茶部(レストラン)を開設する折に、純印度式カリーをメニューにすることを提案します。それはボースにとってもうひとつの独立運動だったのかもしれません。そして、今から89年前の1927(昭和2)年6月12日、喫茶部の開設と同時に純印度式カリーを発売し、中村屋の名物料理となりました。
「恋と革命のインドカリーの日」制定
独立運動に身を投じ、俊子と深い絆で結ばれたボースが伝えたカリーは「恋と革命の味」として、今に伝わっています。中村屋では、その発売日である6月12日を記念日として制定しました。
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